セリミエモスクと複合施設
かつてのオスマン帝国の首都だったエディルネのスカイラインを占めるセリミエモスクは、建築家スィナンの、究極の建築的表現を表した作品である。そびえ立つ4本の細いミナーレのついた大ドーム、壮大な装飾が施された内装、図書館、輝かしいイズニクタイルと大理石の中庭、外庭と覆いのあるバザールは、16世紀の帝国における芸術の極みと信心深さを表している。他を見下ろす地にあるセリミエモスクと複合施設の構成は、オスマン帝国の最も傑出した建築家スィナンの最高の作品である。

セリミエモスクと複合施設は、16世紀における全てのオスマン建築家の中で最も有名な、人類の創造的天才スィナンの最高傑作である。単一の大ドームは8本の支柱に支えられ、5つの半ドームと8つの小塔が囲み、周囲に高さ70mのミナーレがそびえ立っている。革新的な構造により、数多くの窓が並々ならぬ美しさを持つ内装を作り出している。

セリミエモスクは、その大ドーム、空間的なコンセプト、建築的で技術的な、街を飾るアンサンブルとロケーションとともに、オスマン帝国の最盛期の歴史において重要な舞台を照らし出している。

セリミエモスクと複合施設には傑出した普遍的価値の性質の全てがあり、良く保存され、発展の悪影響も受けていない。イズニクタイルを使った内装は、すばらしい芸術の極みである。モスクはその複合慈善施設とともに、オスマン時代に独特な、最も調和の取れた表現の仕方を代表するものである。

セリミエモスクと複合施設は2011年以来ユネスコ世界遺産リストに登録されている。

セリミエ・モスクの伝説

伝説によると、預言者ムハンマドを夢で見たスルタン・セリム2世は、預言者の指示に従い、彼が夢で示した場所にモスクを建てることにしました。

モスクの建設が進んでいたとき、ミマル・スィナンはふとどこかに消えてしまいます。いたるところが捜索されましたが、誰もスィナンを見つけることができませんでした。ちょうど8年後にスィナンは急に現れ、モスクの建設途中の場所から建設を続けるよう指示しました。スルタン・セリム2世は、建設が8年間中断されたことにとても怒っていて、「早くスィナンを連れて来い」と命じました。

スルタンは全宮廷を恐れで震撼させました。ミマル・スィナンはかなり平静な様子で現れました。スルタンはただ一言「説明しろ」と言いましたが、その目から火花が散っていました。スィナンは、モスクの土台を丈夫にするために時間が必要だったことを話し、「8年の時間が必要だったのです」と言いました。スルタンはミマル・スィナンの知恵に対し何も言えませんでした。