カーリエ教会がいつ建立されたかはわかっていませんが、7世紀にこの地に教会があったことが知られています。今日の教会は11世紀から、モザイクとフレスコ画は14世紀から残っています。イエス・キリストの誕生から昇天までの生涯の物語や様々な奇跡の絵が、順にフレスコ画として描かれています。教会の大きさではなく、むしろフレスコ画の素晴らしさにより世界遺産に選ばれました。

カーリエ教会・墓の宝物

伝説によると、コーラ教会(カーリエ教会)を建てさせたビザンチン皇帝が、死後にこの地に埋葬されました。

皇帝は、自分を埋葬するときは王冠と剣も自分の隣に埋葬するよう遺言しました。遺言状にもこう書かれています。

「私の隣の剣と王冠は、コーラ修道院を建てさせるのと同じ価値がある。この教会が荒れ果ててしまった日には、私の墓を掘り起こし、中から出てきた王冠と剣を売り、その代価で教会を再建するよう。」 この風聞は民衆の間に広まり、多くの者がここで一晩中墓を探して過ごしました。カーリエ教会の周りに住む者は、朝起きたとき、あちこち掘り起こされた地面を目にし、その理由を知らない者は大きな恐れを抱きました。このことは番兵に知らされ。夜の見張りが立ちました。1ヶ月過ぎた後、いくつかの家族が「夜に幽霊が出る」といううわさを流し始めました。このため、カーリエ教会の周辺を通るものはいなくなりました。

ある夜、この道を、酔っ払いが通り過ぎました。掘り返す音やささやきが耳に届きましたが、頭がもやもやしていたために気にせず歩き続けました。少し進むと、前方で、白で覆われた何かが盛り上がり始めました。酔っ払いは何も言わずに進み続け、腕を伸ばして幽霊を捕まえました。この際に周りから1人か2人が逃げたのを見ました。幽霊の白布を引き剥がすや否や、中からエディルネカプで暮らしている井戸洗いが現れました。

「おい、ここで何をしている。」
「探しているのだ・・」
「何を探しているのだ」
「王の冠と剣を」
「二度とここに現れるな。そうでなければそうやすやすと俺の手から逃れられはしないぞ。」

酔っ払いは井戸洗いを放し、井戸洗いも二度とここに来ることはありませんでした。